わたしには、ぜいたくなことに、たくさんの楽しいことがあります。孫との楽しい関り、次男が個展を京都で開催してくれて大成功に終わったこと。
でも、心躍るような喜びは、今、さんすう教室を開催していますが、算数苦手な子どもさんが、算数が苦手ではなくなったよ!と、言ってくれた時。
だって、わからんから授業聴いてないかったし、算数苦手だし・・・。そんなお子さんが、好きと言えるまでではないけれど、嫌いではなくなった!!と話してくれた時。
そう!!この言葉が聞きたくて、さんすう教室をスタートさせたのです。
わからないことは嫌い、嫌いは苦手、苦手は避ける、出来ないスパイラルが始まってしまうのです。でも、小学生の算数くらい、特に5年生くらいまでなら何とかなります。
百マス計算の蔭山英雄先生は言っています。
できない子は一人もいません。
もし、できない子がいたら、心の問題だと。つまり、「勉強が苦手」とか「勉強が嫌いだ」という気持ちが強くて、その気持ちが邪魔をして学習に入っていけてないことが分かったようです。
できない子をなくすことは可能
特別授業をする前に、子どもたちによく言う言葉があります。「できるようになるから」って言うんです。誰に対しても。
これは意味があって、「できるようになりますよ」と言ったら、子どもはついうっかり、「なりたいな」と思っちゃうんです。
子どもはみんな前向きです。みんな「できるようになりたい」という気持ちを心の奥底に持っているので、そこに火を付けたら本当にできるようになるんです。この技法を、世のお母さんのも知ってほしいと思っています。
言葉がけで子どもは大きく変わる
お母さん方は、スーパー・ティーチャーではないかもしれませんが、子どもが大好きな、世界でたった一人のお母さんです。
お母さんの言葉がけ、アシストしだいで子どもは大きく変わります。だからお母さんは心配しすぎない事、笑顔でアシストとしてあげてください。
そうです!!さんすう教室に来てくれる小学生は、お母さんから苦手なんです!とか、できないんです!とお聞きしているので、チョットできると、めちゃ褒めるんです。心の底から褒めることができます。それはお母さん方の謙遜なのか、それとも、わが子を低く評価しているのかも知れませんが、指導者の私たちにとってはありがたく、たくさんほめる材料があるんです。指導していると、ほんと蔭山先生のおっしゃる通り、苦手意識が大きく邪魔をしていることに気づきます。
やはり、心の問題であって、やる気のスイッチを押せたら最高!!それは、ほめることだと確信してます。
自信を取り戻してあげたい。小学生の算数なって、ほんと小さなつまずきなんです。何でつまずいたかを見つけて、自信を取り戻したい。
今、実は勉強が苦手な子が増えていると、蔭山先生は言ってます。
今の指導要領では、小学一年生の段階から難しい問題をやらせて、なぜそうなるのかということを考えさせたりします。たとえば「12-3の計算の仕方を考えましょう」と考えさせます。
しかし、小学1.2年生の子どもは「考える」ことは苦手です。どんな難しいことでも「覚えろ」と言ったらあっという間に覚えますが、考えることはむずかしい。そんなの僕からすれば当たり前なのですが、その大前提がおかしくなっているんのです。
教科書も今は平均170ページ、ゆとり教育の時は100ページ程度、習うこと自体はさほど多くないのですが量が増えているのです。
そもそも、小1で習う勉強は基本中の基本で、基礎・基本は繰り返しやらないと定着しません。小1,2の教科書は薄くして学習量を減らし何度も繰り返すというのが、昔の方針でした。
指導要領を、私たちが変えることはできませんが、そのことを知って、なんか「考えて」と言われている間に、基礎・基本はどこかに追いやられて、「分からないこと」に子どもの頭が混乱してしまっているかもしれないことを、私たち大人は知っておいたほうが良いかもしれません。
「生きる力」「考える力」って、今の指導要領の目玉なんですが、算数の場合、覚えてもいないことを考えることってできないですよね。
あなたは、きっとできるようになる!
隂山 英男 先生
*2023/7/20ヤフーニュースより一一部抜粋
隂山 英男(かげやま ひでお、1958年3月7日 – )は、日本の教育者。立命館小学校副校長、立命館大学教育開発推進機構教授。安倍内閣の諮問機関「教育再生会議」委員を歴任。元大阪府教育委員会委員長。
来歴
兵庫県朝来郡和田山町(現・朝来市)出身。兵庫県立八鹿高等学校、岡山大学法文学部法学科卒業。学生時代は放送文化部に所属しアナウンサーを目指すが挫折。佛教大学通信教育部にて教員免許を取得、兵庫県内の小学校で教員生活を始める。教員時代は典型的な“でもしか先生”であったが、同僚教師の過労死や八鹿高校事件を切っ掛けに「命を大切にするなら、まず教師から。自分を犠牲にする教育実践など意味はない」と、授業改革に目覚める。
朝来町立(現在は合併により朝来市立)山口小学校在職当時、同僚、父母なども巻き込んで基礎学力向上のためのメソッドの開発を進め、岸本裕史が提唱した百ます計算やインターネットの活用、科学実験、そして日常の生活を見直すチェックシートの活用など、さまざまな工夫を重ねて、成果を上げる。
また、現場の教員たちの自主的な研究会「学力の基礎を鍛えどの子も伸ばす研究会」に小河勝らと共に所属。広島県尾道市教育委員会による校長の公募に応じて、2003年4月より尾道市立土堂小学校(文部科学省指定研究開発学校)の校長に就任。
2006年4月より、京都市北区に開校の立命館小学校副校長に就任(立命館大学教授を兼務)。同年10月、政府の教育再生会議委員に就任(2008年1月まで)。
2008年10月1日、大阪府教育委員(非常勤)に就任(2012年から委員長(非常勤))。2015年3月12日に中原徹大阪府教育長が部下へのパワーハラスメント問題をきっかけに辞職。翌13日、隂山委員長も緊急記者会見を開き、同月末で教育委員長及び委員を辞職する考えであることを明らかにした。中原前教育長の友人である橋下徹大阪市長から、連日隂山委員長に対する批判がなされていた他、松井一郎大阪府知事からも辞職を促されていた[1]。
2012年からは福岡県飯塚市の学力アドバイザーを引き受け、市内一斉に隂山式の授業が展開されることになった。その結果、劇的な学力向上が達成され、それがモデルとなり、現在離接の田川市、宮崎県延岡市、新潟県糸魚川市などに広がっている。