先月末に地質クラブで三重県の「神島」に行ってきました。
皆さんは、「神島」知っていますか?
以前、塾の先生をして頂いていた、今は亡き鈴木先生は、ヨット(ボート)に乗ること(操縦すること)が趣味で、指導の合間に行ってみたい島として「神島」の名前を聞いていました。でも、その夢は病気のため(年を取っていたのも含め)叶わぬ夢になってしまったのです。元気なうちは、毎週のようにスクリュウーに着く貝などの掃除に出かけて、一日船で過ごすことを楽しんでおられることを話してくださっていました。そして、神島には行けなかったけれど、篠島にお友達と二人で行ったこと。それもなかなか船着き場に近づけず苦労した話をお聞きしていました。そんな「夢の神島」に今回行くことが出来ました。
「神島」三島由紀夫の「潮騒」の小説の舞台です。三島由紀夫って言えば、55年前、45歳の若さで、最後衝撃的な亡くなり方をした方だったので、鮮明に覚えています。
「潮騒」同名小説の映画化。50年前、山口百恵と三浦友和が出演した美しい海の大自然を背景に、若い男女の愛を描いた青春映画です。
鳥羽から船が出ていて、40分くらいで「神島」につきます。伊良湖からの方が距離としては近いようですが、便利なのは鳥羽からですね。風が強かったりすると出航しないので、行けるかどうか前日まで不安でした。最初の予定日は雨のため中止。「森 勇一」先生 クラブ顧問(元津島高等学校教諭、現NHK文化センター講師等)の計らいで別日程で行くことが出来たのです。前には鳥羽まで行ったけど船が出ず、戻ったことを仲間から聞いていましたし、雨が降ると足元が滑るので開催にはいろんな条件が整わないと、行けない「神島」なんです。それに、伊良湖水道という難所があって、そこは、水の中の流の速い川を感じ、波を切って船が進むのが分かるのです。
鈴木先生が話してくれた難所の伊良湖水道、体感しましたよ。先生の船では、とても厳しいところでしたから、「夢の神島」でよかったかも。
「神島」島の人口は309人(R4/9) 島に降りたのは、私たち18名と観光客の二人ばかり、6月26日晴天、朝11時半前、潮のにおいはきつくない。船着き場に「三島由紀夫の潮騒の舞台」とちょっと古びた看板。
それから専門的な地質の説明、私は聞いても右から左に抜けていき、こんな大きな地層って、大きな地震どころか、地球規模で起きた大きな変化の後だなあと。『トカラ列島』の地震の事を考えていました。もしかして、「東海トラフ地震」森先生も言っていた30年以内に起きる確率80%。でも、この地層のようなことが起きたら何の手立てもないなあ?なんて、先生の説明は、波の音と一緒に流れていました。
それから持って行ったお弁当を広げ、木陰を探して食べ始めたら、「カ」がいっぱい。島の人間以外のにおいを嗅ぎつけて、ゆっくり食べられず、早々に活動開始。

次に向かったのは、古里の浜に、浜辺に鎮座する巨岩「八畳岩」を観察。そこにたどり着くまでも足下は凸凹とがった岩場を通っていくので、私たちにはなかなかの難所。
神島は、三角山の形をしていますので、山道を登り、「監的硝跡」(戦時中に旧陸軍が伊良湖岬から打つ大砲の試着弾を目視して確認するための施設)に行きました。
『潮騒』のクライマックスシーンにも描かれた当時の様子そのままに残されています。2階の屋上からは、伊良湖岬の灯台や、伊良湖水道や遠州灘を行く船、太陽にキラキラ輝く海辺、最高の眺めでした。
幸せを実感!こんな素晴らしいところだったんだ!!





そこから階段を上り、眼下に鳥羽市天然記念物に指定されている「カルスト地形」、風化した石灰岩の切りたった崖がそびえ、水平線の美しい青色と大自然が作り出した白く輝く岩々が素晴らしい眺めでした。
そしてまた、階段を上り、神島灯台へ。海の難所である伊良湖水道を見守ってきた「日本の灯台50選」にも選ばれている灯台に到着。そこからは山を下り、航海の安全を祈る「八代神社」で、今日無事に来られたことに手を合わせ、漁港に戻ったのです。
周囲4キロの島と言えども、なかなかのハードなコース。18人の仲間の健脚を信じてのようだったけれど、普段、山登りをしている仲間も、思ったより大変なコースだったと言っていました。
でも、映画の撮影でも、機材を担いで、同じ場所の移動をしたのかと思うと、大変だったんだろうと想像がつきました。山道は狭く、階段は急で長く、海岸は足元は悪く、若い二人の島での撮影は、距離を縮めるのは無理からぬことかと、想像がつきました。
そんなことを考えながら、帰りの船の甲板で心地よい風に吹かれ帰路に着いた一日でした。
東海シニア自然クラブ、地質クラブのお陰で、今まで知らなかったことを知り、観ることが出来ました。